浄土真宗親鸞会は浄土真宗の宗派?それとも新宗教?

親鸞会は、浄土真宗の宗派なのか、新宗教なのかわからない人がいると思います。正確に表現すると親鸞会とは、浄土真宗を正確に伝え、親鸞聖人の教えを正しく伝えるために創設されたものであり単なる宗派のひとつではありません。

よく「本願寺派と親鸞会の争い」といったゴシップが踊りますが、流派が分かれているというような対等な捉え方ではなく、間違った本願寺の考えを正すことを目的とした高森顕徹の元に集結した信心を得た人たちの集まりそのものです。目的は親鸞聖人の教えを正しく、一人でも多く伝えることただひとつであり、教祖がいるわけではないので新宗教ではありません。

本当の親鸞聖人の教えを説くことを目的とする親鸞会

現在のお寺や僧侶が何をしているかをみてみると、浄土真宗や親鸞聖人の教えを正しくひとりひとりに伝えようとする活動を一切やっていません。本来は日本全国を回って、布教活動に勤しむべくではありませんか。ところが、やっているのは、お葬式や法事に呼ばれて読経してお金をもらうということばかりで、お金儲け、ただの生活資金を稼ぐ手段になってしまっています。

これでは、浄土真宗が誤解され間違った解釈のままになってしまうのも無理はありません。しかも、本願寺はこうした堕落した事態を黙認しているのです。日本人の家庭のほとんどが、「あなたの家の宗派は何ですか?」と聞かれたら「浄土真宗」と答える割合が高いですが、浄土真宗の本当の教えが何であるかを理解している一般人はほとんどいません。

歎異抄や教行信証などを開いたことがある人なら少しは理解しているかもしれませんが、多くはそれを手にしていないものと思われます。こうした事態を嘆き、本願寺派の僧籍を投げ捨ててまで、本当の親鸞聖人の教えを説こうとしたのが、親鸞会代表の高森顕徹先生なのです。親鸞会は浄土真宗の宗派のひとつではなく、本願寺の時代とともにねじ曲がってしまった本来の浄土真宗の教えを正していく特別な存在なのです。

本願寺の間違った浄土真宗の解釈の数々

本願寺の説く浄土真宗には誤った解釈をしている点がたくさんあります。学校の教育現場でも誤った教え方がなされているのです。その最たるものが「念仏」に対する考え方。

「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで人は救われると歴史の教師は深く検証もせずに簡単に生徒に教えますが、これは間違いです。念仏を唱えさえすれば救われるのではなく、「真実の信心」ただひとつで救われるというのが正確な答えです。

上っ面だけの言葉では駄目で、本当に心から阿弥陀が説く人生の目的を理解することができなければ、救われることはないということです。また、本願寺の「救い」に対する考え方も間違っていて、「人は死んだら救われる、極楽浄土へ行ける」と言っていますが、死んでから救われても意味がありません。生きているうちに救われる方法を見つけ出していくのが親鸞聖人の本当の教えなのです。

だから、親鸞会は本当の信心を持てれば、生きているうちに救われると説いています。みんな生きているうちに救われたいのが当たり前です。この世は「難度の海」と称されるほどに苦しいことばかりですが、それを幸せにわたって行く方法をみつけることこそが、親鸞会の目的です。

死んでからでは遅い、生きている間に救われたい

浄土真宗では、人生とは「難度の海」に例えられています。果てのみえない暗黒の大海原に投げ出された人間は、一生泳ぎ続けなければならず、泳ぐのを止めたときは死ぬときです。

必死で泳ぎ続けるために、たまに流れて来る丸太ん棒や板切れにつかまって休みながら進んでいきます。その必死でしがみついている丸太ん棒や板切れが、人間が生きている間に欲する名誉・お金・権力といったものなのです。そんなものは、人生の難度の海をわたるのに大した援助にはなりません。大嵐が襲来すると丸太を持つ手は離れてしまい、またひたすら泳ぎ続けることになるのです。

しかし、本当の親鸞聖人の教えを理解することができれば、難度の海をわたる大船に乗って救われることができるのです。それも生きている間に。これこそが親鸞会が今を生きる人々に伝えたいことです。人生苦しいことばかりで死んだ方がマシだなどと考えている人がいたら、それを救う力を持っているのが親鸞会です。

本来ならお寺や僧侶が率先してやらなければならないことですが、現状の彼らは自分の生活のことしか考えていないため、それを代わって人々を救う活動を全国各地で実践しているのが親鸞会です。

まとめ

ここまでの解説で、親鸞会が浄土真宗の単なる一宗派ではないもっと大きな存在であることがおわかり頂けたことと思います。今の堕落した仏教界の背筋を正す為に、これからも親鸞会は設立当初の目的を見失うことなく、親鸞聖人の正しい教えを布教していくことを誓います。

ただ、手法としては法話だけでは十分ではないことから、テレビ座談会や書籍・DVDなど時代の進化した機器を使いながら、流布していくことになります。最近は映画制作も手掛けており、幅広い世代が「親鸞聖人の教え」や「歎異抄」・「教行信証」などの中身に触れる機会を増やしていくことにしています。